一年前にあった震災、現実と思えないような出来事をどう受け止めていこうか、
一人ひとりが、生き方、おもい、改めて向き合い方を考えた日になったことと思います。
わたしは生活を共にしているパートナーと手を取り14:26に黙祷を行いました。
今自分に出来る事を改めて感じました。
先日オープンした駒澤大学店のヨガスタジオオハナスマイルさんの方が
素晴らしい文を紹介してくれたので、ここに紹介します。
わたしは手書きにし、いつも持ち歩いています。
『最後だとわかっていたなら』
作/ノーマ・コーネット・マレック
訳/佐藤 睦
あなたが眠りにつくのを見るのが
... 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと
だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから。
時には投げ出したいこと、ふれる時間がとれなかったり、
人との付き合いに疲れを感じてしまうときもあるけれど、
一瞬一瞬私たちが生かされていることは奇跡!!
大切に過ごしていくことが、生きたくても生けなかった方々への
思いにもつながると思います。
震災でお亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。